九谷焼は、一六六一年(寛文元年)加賀国九谷村に良質の磁土が発見されたのを端緒に、
前田藩の後藤才次郎が藩主の保護のもとに
窯を築いて創ったのが最初とされています。
九谷焼の生命は"上絵付"で、
上絵付をはなれては
九谷焼を考えられない点、
ならびに絵付の調子が
"時の表情"を反映している点が
他の焼物には見られぬ特色と言えましょう。
古九谷
- 明暦年間 (約350年前)
- KO-KUTANI about 350 years ago
日本画狩野派の名匠・久隅守景の指導によったといわれるもので、青(緑)・黄・赤・紫・紺青の五彩を用いている。
絵画的に完成された大胆な構造、のびのびとした自由な線書き、力強い、豪快な深い味わいが魅力である。
木 米
- 文化年間 (約200年前)
- MOKUBEI about 200 years ago
古九谷が廃窯され、約80年後、加賀藩営で金沢に春日山窯が開窯された。
京都の文人画家・青木木米の指導により全面に赤をほどこし、人物を主に五彩を用いて描き込んである。
(中国風のものである)
吉田屋
- 文政年間(約180年前)
- YOSHIDAYA about 180 years ago
青手古九谷の塗埋様式を再興したもので、赤を使わず、青(緑)・黄・紫・紺青の四彩を用い、
模様の他に小紋を地紋様風にして、器物全面を絵具で塗り埋めた重厚な作風であり、独特の雰囲気をかもし出している。
飯田屋
- 天保年間(約170年前)
- IIDAYA(AKA-E) about 170 years ago
赤により綿密に人物を描き、そのまわりを小紋等で全体を埋めつくし、所どころに金彩を加えてある。
一見して筆舌に尽しがたいほどの赤絵細密画である。
庄 三
- 天保~明治(約165年前)
- SHOZA about 165 years ago
古九谷・吉田屋・赤絵・金欄手のすべての手法を間取り方式で取り入れ、
これらを洋絵具を用いて、細密に描き込んだ彩色金欄手である。
明治以後の産業九谷の主流となった作風である。
永 楽
- 慶応年間(約145年前)
- EIRAKU about 145 years ago
永楽和全による京焼金欄手手法で全面を赤で下塗りし、
その上に金のみで彩色した豪華絢爛な作風であるとともに、京焼風な洗練された美しさもある。